歴史

豊臣秀吉
1: 風吹けば名無し 2016/06/03(金) 17:30:49.16 ID:hcTJ3NYA0
豊臣秀頼

こいつが生まれなければよかった
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隕鉄の剣
1: リサとギャスパール ★ 2016/06/03(金) 00:37:19.91 ID:CAP_USER9
1922年にピラミッドの墓が発掘され、世界的に知られることになった古代エジプトの王ツタンカーメン。 その発掘品の中にあった王愛用のナイフが、地球外からの物質で出来ていることが最近の科学調査でわかった。

3,300年間錆びないナイフ
そのナイフは、発掘されたツタンカーメン王のミイラと共に埋葬されていた2つのもののうちの1つ。 1つめのナイフの刃は純金製だが、問題の2つめのナイフの刃は主に鉄でできており、柄に金と水晶が使われている。 また、この鉄のナイフは王が常用していたものらしく、エジプトの半獣神の装飾を施した皮の鞘がついていた。

これまで科学者にとって、この鉄のナイフは大きな謎だった。ツタンカーメン王の時代、エジプトで鉄器が作られることはほとんどなかったからだ。 また、作られてから3,300年以上経った今でも、このナイフには錆がまったく出ていないらしい。

●元素構成が隕石に一致
問題のナイフを、イタリア・ピサ大学の研究者が蛍光X線元素分析機にかけてみたところ、元素構成が隕石と一致することが分かった。 鉄、ニッケル、コバルトの割合が、当時エジプトに落下した隕石とまったく同じだという。

研究者たちはエジプト周辺の半径2,000kmの地域に落下した過去の隕石を調べてみた。 (これまでに見つかった隕石はどうやら保存されているらしい)その中に鉄を主体とする隕石は20あり、エジプトの港町メルサマトルーで16年前に見つかった1つと、ナイフの元素構成がピタリと一致した。

西洋文明が栄える遥か以前に、古代エジプト人は地球外の物質が空から降ってくることを知っていて、しかもそれを利用していたと考えるしかない。


http://irorio.jp/sophokles/20160602/324869/
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▼北大手櫓門跡
北大手櫓門跡


熊本城の遺物 (1)


熊本城の遺物 (2)
1: リサとギャスパール ★ 投稿日:2016/05/13(金) 20:55:15.18 ID:CAP
一連の地震で大きな被害を受けた熊本城で、崩落した石垣の石から戦国時代に彫り込んだとみられる観音菩薩が見つかり、インターネットで話題になっています。

熊本城で地震の被害があった石垣53か所のうち、北大手櫓門跡では、石垣が隣接する「加藤神社」の境内に崩れました。神社の宮司が被害を確認したところ先月24日、石に彫り込まれた観音菩薩を見つけました。観音菩薩は、背丈が40センチほどで、後光が差し、ハスの葉の上に乗っている様子が描かれています。

熊本城調査研究センターによりますと、この観音菩薩は、戦国時代に一般の人たちが先祖を供養しようと、「板碑(いたび)」と呼ばれる板状の石碑に彫り込んだものだということです。その後、江戸時代に、熊本城の石垣を造る際、急いで石を集めたために、身近にあった板碑を石垣の石に転用したものとみられ、およそ400年の時を経て今回の地震で出現したのではないかということです。
 
発見した加藤神社の湯田崇弘宮司は、フェイスブックを通じて「永い時を経て現れたこの観音様に思いをはせると胸が揺さぶられる」と思いをつづり、13日までの3日間に1600人以上の反響がありました。 湯田宮司は「地震の被害が大きく、悲しいことばかりでしたが、観音様を見て自然と手を合わせました。私たちのことをこれからも見守ってくれると思います」と話していました。

熊本城調査研究センターの美濃口雅朗主幹は、「期せずして熊本城が造られる前の歴史をかいま見ることができる資料が見つかりました」と話していました。

 
ニュース元
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160513/k10010519781000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001
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真田幸村 (1)


真田幸村 (2)
1: いちごパンツちゃん ★ 投稿日:2016/05/11(水) 20:52:08.10 ID:CAP
人気の戦国武将・真田幸村。
イケメンかと思いきや……。歯も抜けた、さえない男性だった。
それがなぜ、輝くスーパースターになったのか。

最近、巷にあふれる幸村は例外なく、「イケメン」だ。ゲーム、マンガ…… そしてNHK大河ドラマ「真田丸」で真田信繁(幸村)役を務める堺雅人さんも、言うに及ばずだろう。きっかけは、人気アクションゲーム「戦国BASARA」シリーズ(カプコン)だ。

しかし、幸村の実相は少々、異なるようだ。上田市立博物館(長野県)が所蔵する「真田幸村画像」では、幸村はちょびひげを生やし、温和な表情を浮かべ、裃(かみしも)姿で座っている。小柄な印象も受ける。とてもイケメンとは思えない。

描かれた時の幸村の年齢は不詳だが、幸村は46歳のころには、歯も抜け落ちていたという。当時、姉婿に送ったとされる、こんな書状が残っている。「去年より俄(にわか)にとしより、殊(こと)の外(ほか)病者に成り申し候(そうろう)。歯なども抜け申し候。ひげなどもくろきはあまりこれなく候」

病気がちで、歯が抜け、ひげの白髪も増えた……イケメンどころか、貧相な容姿だ。 一体なぜ、これが「輝くスーパーヒーロー」になったのか。

歴史研究家で、幸村の直系子孫でもある真田徹さん(67)はこう話す。 「江戸時代になって書かれた軍記物の『難波(なんば)戦記』が一つのきっかけとなり、ヒーロー幸村は生まれたと見られています」

『難波戦記』は、豊臣秀吉が造った大坂城をめぐる冬の陣と夏の陣を描いた壮絶ドラマだ。この中で幸村は、英雄・豪傑として大活躍する。 徹さんは、「徳川幕府への不満を募らせていた庶民が、幸村にヒーロー願望を投影させたのではないか」と見る。


http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160511/asahi_2016051000189.html
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ピラミッド
1: ゆず ★ 2016/04/16(土) 08:20:13.65 ID:CAP_USER*.net
「世界の七不思議」で唯一現存する建造物、ギザの大ピラミッド(エジプト)。人類が高度な科学技術を手にした現代にあっても、建造の方法や理由について確かなことはわかっていない。ピラミッドは何のために、そしてどのように作られたのか――? この点について現在、一部の研究者たちの間では「理由など存在せず、もともとそこにあったのだ」とする説が囁かれ始めているという。これは一体どういうことなのか? 詳細についてお伝えしよう。


ピラミッドは定説よりも2500年古い!?

ギザの大ピラミッドこと「クフ王のピラミッド」は、一般に考古学者たちの間で紀元前2500年ごろに建造されたと考えられており、世界各国の教科書にも同様の内容が記されている。しかし、放射性炭素年代測定などの結果をもとに、実は紀元前7000~5000年に建造されていたと信じる考古学者も少なくないという。そう、ピラミッドが定説よりも実際は2500年以上古いのではないかというのだ。

しかし、仮にこの説が正しいとすると、大きな疑問が生じることになる。史上初めてナイル川の上下流域を統一する「第1王朝」が出現し古代エジプト文明が始まったのは、紀元前3000年ごろである。つまりピラミッドは、古代エジプト文明の誕生時、すでにギザの地に存在していたことになり、「なぜ」「どのように」という現在唱えられている謎に加え、「誰が」という新たな謎が生まれてしまうのだ。

ピラミッドが古代エジプト人のものではないとしたら、一体誰が、どのように作り上げたのか?

一部の研究者によると、この疑問を一気に解き明かす画期的な答えが存在し、裏づけとなる証拠も多数見つかっているという。それこそが、ピラミッドと「巨人」の関係という、人類史を覆す画期的な新説なのだ!


巨人がピラミッドを作った証拠多数!

ピラミッドが古代エジプト文明よりも前に誕生したと信じる人々は、太古の昔、この地球上に存在した「巨人」こそが本当の建造者だったと考えている。突拍子もない説に聞こえるかもしれないが、その証拠も実際に多数残されているという。

まずは、古代エジプトの壁画だ。現存する壁画の中には、明らかにスケールの異なる人間たちの姿が、ともに描かれているものがあるという。小さな人間と、背丈が何倍も大きな人間とが一戦を交える様子を表した壁画さえ発見されているのだ。これは、古代エジプト人が、巨人たちからピラミッドを“奪った”可能性を示唆するものといえる。

さらに1988年、ドイツの日刊紙「BILD」は、古代エジプト文明以前に現地で巨人が暮らしていたことを物語る発見をスクープとして報じている。それによると、古代エジプト文明の研究者であるグレゴール・シュペリという人物は、調査で現地を訪れた際、カイロから100km北東に位置する農場で“とある老人”と出会った。

この老人、実は過去にエジプトの古代遺跡を盗掘していた人物だったが、「300米ドルで“とんでもないもの”を見せてやろう」と提案してくる。老人の話を呑み、シュペリ氏が目にしたのが、なんと“巨人の指”だったというのだ。ミイラ化を通り越して、まるで木の枝のように変化していたが、それは間違いなく巨大な人間の指。写真にも収められているので、一目瞭然だ。その大きさから、巨人の身長は約4.5mだったのではないかとシュペリ氏は推測している。


巨人の存在を認めたほうが“自然”?

巨人など伝説上の存在であり、実在したはずがないと一笑に付す読者がいるかもしれない。しかし、よく考えてみて欲しい。ピラミッドを構成する巨大な岩石、そして約140mという高さについて「大きな人間のスケールに合わせたもの」と視点を変えるほうが、違和感が少ないのではないだろうか。

実際、ストーンヘンジ(英国)などに代表される「巨石文明」の痕跡も、かつて地球上に巨人が存在していた証だと考えれば、腑に落ちる点が実に多い。そして、巨人伝説が洋の東西を問わず世界各地に存在する点も決して見逃すことはできない。文化を越えて、私たちの記憶には、かつて共存していた巨人たちの記憶が残されているのではないか?

ただし、かつて地球上のいたる場所に暮らしていた巨人が姿を消してしまった理由については、研究者たちの間でも「大洪水の発生」や「病気の蔓延」など意見は割れている。しかし近年の主流は、「現世人類である私たちと長い時をかけて交配してしまった」とする説だ。その結果、現世人類に一定の割合で巨人症が発現するようになったという。


http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201604_post_9471.html
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徳川家康
1: ミラノ作 どどんスズスロウン(東京都)@\(^o^)/ 2016/04/12(火) 01:30:44.06 ID:L9L5Tg6M0.net
多くの武将たちが権謀術数をめぐらす戦国時代。そこで最後に勝ち残ったのは、なぜ徳川家康だったのか? 。目の前の変化から学ぶ家康の学習優位戦略こそ、不確実な今の時代にビジネスパーソンが学ぶべき戦略である。 今も昔も変わらない不変の勝利の法則を、ビジネスでも応用できるようにまとめた新刊『戦略は歴史から学べ』から 一部を抜粋して紹介する。


最速で学び反映できる者が最後は生き残る

最後に登場した徳川家康が、なぜ天下を獲れたのか?家康の古くからの同盟者の織田信長が死去し、日本で一番 出世した男と言われる豊臣秀吉の天下となる。小牧・長久手の戦いのあと、長い雌伏の期間を得て、家康は天下人 として開花。1600年の関ヶ原で勝利した英雄は、どんな戦略で逆転したのか?

反抗した勢力を徹底的につぶした秀吉

信長の次男、信雄と家康が秀吉と対峙した「小牧・長久手の戦い」は、家康が人質を差し出す形で停戦しましたが、翌1585年に秀吉は伊勢に出兵。前年に家康に呼応して反秀吉側で戦った雑賀衆を壊滅させます。3ヵ月後には四国の長宗我部を制圧、5ヵ月後には北陸に大軍を派遣、反秀吉側の佐々成政を攻め、領地の大半を奪います。

同年11月には、家康の腹心だった石川数正が突如、秀吉側の家臣となる事件が起きるなど、停戦後に電光石火で反勢力を各個撃破、秀吉は自らの基盤をさらに強固にします。

・九州の島津を討伐(1586年7月~翌年4月)
・家康が秀吉に臣従を誓う(1586年10月)
・小田原、北条氏討伐と秀吉の天下統一(1590年)

北条氏討伐の同年、家康は秀吉の命令で関東に所領が移されます。代々縁の深い三河地方ではなく、家康と家臣団の拠点は関東平野に移動。入り江や沼地が多かった関東平野を開墾し、利水・埋立事業を起こしたことで、今日の東京への基礎がつくられます。


http://diamond.jp/articles/-/89180
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豊臣秀吉の過ち
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/02(土) 18:54:02.57 ID:nQlyiL+S0.net
織田信長とかは結構ドラマとかになってるのに
秀吉ってあまりそういうのなくね?

かわいそう・・・
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江戸時代の仕事 (1)


江戸時代の仕事 (2)


江戸時代の仕事 (3)
1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/03/28(月) 07:42:12.286 ID:nxCyjxdr0.net
今は選択肢が多すぎてやりたいことを探したりしてしまう
昔は農民なら一生農民をするしかなかった

今の考えからすればそんなの嫌かもしれんが

当時はそれ以外の生き方があるという発想すらない
辞めるという選択もないので葛藤もしない

ただ仕事に身を委ねていれば生きていけた

夢に挑戦するチャンスはないが、失敗して挫折感を味わうこともなかった

社会は果たして進歩したのか
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鎌倉大仏 (2)


鎌倉大仏 (1)

※金箔らしきモノが貼られた跡がある鎌倉大仏
1: シャチ ★ 2016/03/22(火) 22:07:41.57 ID:CAP_USER*.net
東京文化財研究所(東京都台東区)は22日、55年ぶりに保存修理した国宝、鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像、あみだにょらいざぞう)について、13世紀の創建当初から顔だけが金色だった可能性があると発表した。

鎌倉大仏は江戸時代の文献に金色だったと記され顔については「金箔(きんぱく)」とする明治時代の報告書があるほか金メッキ説もある。今回の修理に伴い、X線による金属調査などで大仏の右頬などに残る金が目の周囲や鼻でも確認された。

調査を担当した同研究所の森井順之(まさゆき)主任研究員は「金は創建当初のものと推測される」と話している。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160322-00000113-mai-soci
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ローマの生活 (1)


ローマの生活 (2)


ローマの生活 (3)


ローマの生活 (4)


ローマの生活 (5)
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